【三田啓子(みた けいこ)さん プロフィール】
福岡県福岡市博多区生まれ。青山学院短期大学卒業。
日本航空(JAL)に入社後、結婚して、大正元年創業の「玄冶店 濱田家」の女将に。
大手企業で働く3人の優秀なお子さんを育てた偉大な母でもある。
その美貌から、美STでも活躍中。
「女将になるつもりなんてなかった!」専業主婦からの玄冶店 濱田家女将への道
まずは、なぜ三田さんが、福岡から日本を代表する歴史ある料亭「玄冶店 濱田家」に嫁ぐことになったのか、伺ってみました。
「大学時代の教授のご紹介により、濱田家に嫁ぐことになりました。ただ、結婚する時の条件として女将になる話は出ておらず、その後、女将になるとは思ってもいませんでした。
しかし、第一子出産後、女将の仕事をすることに。女将になるために、まずマナー講習を受け、おもてなし、食、書、茶、花道などの勉強もしていきました。
女将の仕事ではじめに苦戦したことは、大事なお客様の名前を覚えることでした。数多くの業界に精通した著名人や有名な方々がいらっしゃり、名前を間違えては致命的ですので、毎日緊張していました。
少しずつ慣れてきてからは、『最高のもてなしで迎えたい』という気持ちが最優先になりましたが、はじめはやはり、覚えることばかりで大変でしたね。
もちろん、大変なこともありましたが、基本的にはポジティブなので、全て前向きに捉えて『全ては自己成長のためである』と思い、突き進みました。
女将の仕事と、子育てのはじまりがほぼ同時期だったこともあり、仕事と子育ての両立で悩んだ時もありましたが、可愛い子どもたちに癒やされ、周りに助けて頂きながらの生活でしたね。」
「玄冶店 濱田家」女将〈仕事と子育てを両立する上でのこだわり〉
続いて、忙しい女将の仕事と3人のお子さんの子育てを両立してこられた三田さんに、〈仕事と子育てを両立する上でのこだわり〉を伺いました。
「仕事と子育てで、ずっと大事にしてきたことは『他人に対しての感謝』です。女将は、お客様やスタッフあっての仕事ですし、子どもたちにも、感謝の気持ちを持って周りの方々に接することの大切さを伝えてきました。
子どもは、両親だけでは育ちません。おじいちゃん、おばあちゃん、お友達、先生、ママ友など、色々な人がいるからこそ育つのです。人は、ひとりでは絶対に生きていけず、人の支えがあって生きていくものですから。
そして、仕事をしていたからこそ『愛情を伝えること』も大事にしてきました。子どもは、スキンシップをたくさん受けると、愛情が深まり、社会性が高まるなどの効果もあります。
今振り返ると、『ママはあなたを愛しているよ』と心からいっぱいの愛情を伝えていましたので、自己肯定感が高い子どもたちが育ったのかもしれません。
私の両親は、とてもポジティブで、人の悪口は絶対に口にせず、とても誠実でした。そして、イタリア人のように愛情表現をするんですよ。
そんな両親だからこそ、深い愛情に包まれて育ってきたと実感しています。両親が私にしてくれたことを、同じようにするよう、私も努めました。」
「玄冶店 濱田家」女将が決めていた〈子どもへの叱りポイント〉とは?
続いて、三田さんがお子さんに対して、どのような時に叱っていたかという〈子どもへの叱りポイント〉を伺いました。
「私が決めていた子どもへの〈叱りポイント〉は、行儀作法、感謝の気持ちを伝えること、言葉遣い、他人に迷惑をかけないことの4つでした。これらに関しては、大変厳しくしましたね。
大人になっても恥をかくことがないよう、子ども扱いはせず、対等に注意をしていました。最近では、お子さんに対して全く叱らない方もいらっしゃいますが、私は、子どもたちをネギで叩いて叱ったこともありました。(笑)
しかし、自分の感情で怒らないようには努めていました。ただ厳しいだけではなく、飴と鞭で、コミュニケーションとスキンシップを大事にし、いっぱいの愛情を注ぎました。
そうそう、私も叱りたくはないので、気を付けていたことのひとつは、子どもが泣いて困るような場所には連れていかないようにすること。そうすることによって、公共の場で、叱ることはあまりありませんでした。」
いかがでしたか?
後編では「玄冶店 濱田家」の女将である三田さんが実際に体験した、仕事と子育てでの“トラブル”や“ピンチ”をどう乗り越えたのか、子どもにしていた習い事や教育法についてお伝えします。お楽しみに!
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