山城 葉子(やましろ ようこ)さん プロフィール
株式会社トリート 取締役。プロデューサー兼バイヤー。
2010年にはジュエリーブランド「Joie de treat.」、ユニフォームブランド「grandir by Treat」をスタート。「もっと日本の衣裳業界をおしゃれに、華やかにしたい」 その想いでオリジナルドレスブランド「Leaf for Brides」をオープン。
2012年に独立し、『YOKO YAMASHIRO Designs』を設立し、ドレスというカテゴリーに留まらず、多方面で女性ゴコロをくすぐる世界を創造し続けている。
プライベートでは、2児の母。バイヤーとして海外に行くことが多く、英語の重要性を身を持って実感し、英語ができるだけで、子どもたちには選択の自由が増やすことができると考え、インターナショナルスクールに通わせている。
世界のファッション業界から注目されているだけあり、一際目を引くファッションセンスの良さで、カリスマ読者モデルとしても活躍中。
厳しい下積み期間と〈ウェディングプランナーへの熱い想い〉
まずは、山城さんの現在に至るまでの経緯を伺ってみました。
「学生時代からもうすでにウェディング業界を志望していて、周りの同級生が就職活動のとき、専門学生になりました。ブライダルの専門学校卒業した時には、就職活動はもちろん終わっていて、ゼクシィを買って片っ端から読んで大手に連絡しましたが、全てお断りされ、心踊るようなところにはなかなか就職ができず、悔しい気持ちでいっぱいでした。
ちょうどその時『アニヴェルセル』ができたばかりで、何回も諦めずに連絡をしたところ、その熱意を買ってくださり、アルバイトからスタートすることになりました。
下積み時期は、結婚式場のご案内係となりましたが、どうしてもウェディングプランナーになりたかった私は、上司に泣きながら、ウェディングプランナーへの熱い想いを伝え続け、アテンドさんという介添えの仕事を1年半勤めました。
この介添えの時の仕事が、ウェディングプランナーの仕事や、今のドレスの経験に役立っていると感じています。
しかし、その後もウェディングプランナーになりたい夢を諦められず、『株式会社プランドゥシー』に正社員で転職し、これが私の大きな転機となりました。会社に対して初めてロイヤルティを感じ、一生この会社にいる、本当にこの会社が好きだ!と思いました。
ここでは、すぐにウェディングプランナーとしてデビューでき、夢が叶った瞬間でした。やり始めるとこの仕事が好き過ぎて、その頑張りが認められ、営業成績が全国で1番になり続け、本社から目をつけられるようになったんです!
これがまた新たな夢のはじまりになりました。」
運命の会社との出逢いが『THE TREAT DRESSING』のはじまり
「会社の事業展開の拡大を受けて、全国のプランドゥシーのクオリティーを上げる立ち上げメンバーに抜擢され、お花のコーディネート、カタログ撮影、ブライダルフェアのテーブルセッティングなど、コーディネートの仕事を全て担当させて頂きました。
福岡に初のホテルを建設する際、ウェディングにふさわしいパートナー選びも担当しましたが、ドレスショップに関してはドレスの選択肢が少なく、どうしても納得がいくパートナーを見つけることができず、悶々としていました。
せっかく初のホテルを建設するなら、そのホテルに見合うよう、ドレスに関して妥協したくないという想いでプランドゥシーの社長と打ち合わせをしていると、「お客様に喜ばれるドレスショップをようこが作れ!」の一言。
そこで、自分でファッションがやりたいというよりは、 地方の会場に合うドレスがないという発想から、ドレスのセレクトショップ『THE TREAT DRESSING』を始めることになりました。
プランドゥシーの理念【もしも私がお客様だったら〜I am one of the customers〜】で考えると、私だったらこういうドレスを着たい、こんな靴を履きたいなど、私が心から愛せる商品だけを取り扱っていくことで、その地域のマーケットを知らなくても、お客様から支持されるようになっていきました。
私がマーケットの中のひとりだから、そのマーケットに足りないものをカタチにしていくことでお客様が喜んでくださるのだと思います。世界中を回ってドレスをセレクトしていくことが、今も昔も楽しみでなりません!」
神戸店オープンと同時に第一子を出産!出産後の苦渋の選択とは?
続いて、仕事が絶好調の中、どんなタイミングでお子さんを出産されたのか、伺ってみました。
「長女は、2店舗目神戸店オープンのタイミングで出産しました。オープンしたばかりで、スタッフのみんながお昼時間も取れないほど戦場のような状態になっていました。
そんな中で『子どもが可愛いから育休を取りたい』という気持ちを優先したら、スタッフのみんなに対して無責任だと思い、長女を母に任せるという苦渋の選択をしました。
娘と母のいる東京に3日間、お店のある神戸に3日間という生活を半年近く続けていました。母乳は飲ませたかったので、搾乳して冷凍保存したり、クール宅急便で東京に送ったりもしていましたね。
その生活を続けるのは、やはり家族としてあまりよくないと思い、母と今後のあり方について相談しました。半年を過ぎてから神戸に来てもらうことになり、家族で一緒に暮らす事ができるようになりました。本当に母には感謝しています。
次女は神戸で出産しました。出産当日まで神戸店に顔を出し、朝礼で「今日絶対産むから!」と言って帰宅し、公言した通りその日に出産したんです!
次女の時は長女の時と違って離れて暮らすことはなく、3時間に1回授乳しに帰ることができ、身体的にも精神的にも、きつくはなかったですね。
でも今考えると、お店と家の行ったり来たりの生活は、子どもの感情がしっかりしてくる4〜5歳の方が、正直難しかった気がします。子どもが幼稚園の頃になると、私がいないことを寂しがるようになり、後ろ髪を引かれる思いで仕事をしていました。
今は姉妹ですごく仲良しなので、私がいなくても寂しい思いをする事がなくなり、子どもに対して後ろめたいような気持ちは和らいでいきました。
申し訳ない気持ちを感じながらも、仕事をするからこそ、休みの日はいっぱい楽しませてあげたいと、さらに愛おしい気持ちになります!」
いかがでしたか?圧倒的な仕事への情熱と、忙しい中でも仕事と子育てを一生懸命に両立される姿がとても魅力的ですよね。
後編では、山城さんのさらなる仕事への挑戦や子どもへの教育法についてお伝えします。お楽しみに!
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