行動力も決断力も規格外!高須克弥さんの壮絶な過去と素顔に迫る

子育て・ライフスタイル

71歳になった今も、オペの現場に立って自らメスを手に取るという、高須クリニックの院長・高須克弥(たかすかつや)さん。

驚くことに、高須クリニックに所属する多くの医師たちの中でも、その執刀数は一番多いそう!

医師としての活動だけではなく、スケールの大きい社会貢献でもたびたび話題になる高須克弥さんの素顔に迫ります。

また、成功者としてのイメージが強い高須克弥さんですが、その裏には壮絶な過去もあったのです。

▶︎高須克弥さんって?

高須クリニックの院長として、メディア等にも多数出演している高須克弥さん。

脂肪吸引手術をはじめ、世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介した第一人者で、自身の顔や身体で、実際に整形手術を試みることでも有名。

自身の変貌っぷりをホームページで公開したり、高須クリニックのCMにも自ら進んで出演するなど、いつも何かと話題を提供してくれます。

そんな高須克弥さんにとって、「人助けは呼吸をするのと同じくらい当たり前のこと」なのだそう。

華やかさばかりが取り上げられ、あまり知られていませんが、現在でも高須克弥さんは、高須病院とその関連施設での高齢者の介護など、地道な仕事にも従事しています。

▶︎行動力が規格外の高須克弥さん……「助けたい!」と思ったら即行動!

その決断力も行動力も財力も、すべてが規格外の高須克弥さん。

「僕が助けるのは、頑張っている人や見込みのある人だけですよ。」

と言いますが、業界や分野関係なく、「助けたい!」と思ったら即行動しています。

トヨタ自動車を退社後、「新たなスポンサーが見つからなければ、競技生活を続けるのは難しい。」と発言したフィギュアスケートの安藤美姫(あんどうみき)選手のスポンサーとして真っ先に名乗りをあげたのは、2013年。

「出産後もオリンピックを目指す安藤選手は、本当に偉い。マスコミではとやかくいう人もいるけど、同じ愛知県出身だし、全面的に支援したい。」

と発言していました。

また、以前とあるドラマの放送内容が過激すぎるため、スポンサーが降りる事態となった時は、

「頑張る人を応援したい。電通、博報堂、日テレ全てが喜ぶ提案だよ。僕が全部買うよ!」

とツイッターで表明しています。

▶︎人々から"美容整形"を理解をしてもらえるように、自らを実験台にする

高須克弥さんが美容整形に目覚めたのは、25歳の時でした。

留学先の西ドイツで、鼻を小さくしたり、エラを削ったりする手術を目の当たりにし、こんな世界があるのかと興味を抱きます。

そして、1976年に美容整形外科「高須クリニック」を開業しますが、医学界からは厳しい批判にさらされることに……。

病人を治すのが仕事の医師が、五体満足の人の身体にメスを入れるということに対して、世間の風当たりは厳しかったのです。

それゆえ新しい技術を導入するときは、「若返りプロジェクト」と称して、自分自身を実験台にします。

10種類以上の施術を立て続けに受けて、顔と体を丸ごと若々しく作り替えてしまった高須克弥さん。

"人を幸せにする医療としての美容整形"に可能性を感じていた高須克弥さんは、こうした努力を重ね、少しずつ理解者を増やしていきます。

▶︎一般人に対しても"神対応"の高須克弥さん

高須克弥さんは、SNSなどを通じて自分の言いたいことを包み隠さず、本音を堂々とぶつけます。

本音と建前を使い分けることが体に染みついている日本人の目には、それが異質に見えてしまうこともありますが、これが高須克弥さんの良いところなのではないでしょうか。

どのような方に対しても真っ直ぐに向き合う高須克弥さんの様子は、Twitter(ツイッター)からも読み取れます。

「付き合ってください!」

「イルミネーションを一緒に観に行きたいです!」

「付き合ってくれないと、高須クリニックへ押しかけます。」

といった一般人のツイートに対して、以下のような返信をしています。

いかがですか?この可愛らしくて、愛情がある返信っぷり!

なんだか心が癒されますよね。また、

「東京の赤坂で高須克弥先生がポケモンしているところをみた!」

とツイートした方に対しては、このような返信をしています。

なんと優しく、サービス精神が旺盛なのでしょうか。

さらに、原発関連でいじめに遭っているお子さんの親からの相談に対しては……

といった返信をしています。

たった一言ですが、このお子さんとお母さんに対しての深い愛情を感じますね。

「いままでなんかいもしのうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだからつらいけど、ぼくはいきるときめた。」

このように綴っているお子さんにも、高須克弥さんの想いは届いたかもしれません。

▶︎いじめにあっていた高須克弥さんの壮絶な少年時代

高須克弥さんの人生は、始まりから劇的でした。

太平洋戦争末期の1945年。日本の上空を米軍機が飛び交っている最中に、家の庭に掘った防空壕の中で産声を上げたそう。

1月の防空壕の中は凍てつく寒さだったので、産声をあげて間もなく凍死しかけてしまいますが、祖母の尽力によりなんとか一命を取りとめます。

そして、高須家に100年ぶりに生まれた男の子として、大切に育てられます。

地元の地主で、比較的裕福な家庭に育った高須克弥さんは、戦後にしては何不自由なく育てられ、勉強も良くできました。

そして色が白く太っていたので、格好のいじめの対象となります。

ノートに落書きをされ、石をぶつけられ、服は破かれる……そんな日々を送った少年時代。想像しただけでも壮絶です。

皆から白豚と呼ばれ、「高須白豚くん」と書かれた年賀状が届いたこともあったといいます。

でも高須克弥さんは、どんなにいじめられても気持ちを強く持って生きていたそう。

精神的には、いじめる側よりも優位な気持ちに立っていたのだと言います。

どのような偏見にさらされ、逆境に立たされても、自分の意志を曲げずに突き進んでいく現在の高須克弥さんの生きる姿勢は、このときに養われたのでしょうか。

大人になってから、白豚のキャラクターをコレクションするようになったのも、過去の辛い思いをも楽しい思い出に変えようとする、圧倒的にポジティブな発想からかもしれません。

少年時代にいじめられた思い出しかない故郷の町を50年経った今もなお愛し、頻繁に帰るという高須克弥さんの心の強さ。

いじめられた幼少時代を過ごしたからこそ、苦しんでいる人の痛みを感じやすく、助けたいという思いに駆られる、という高須克弥さん。

医学部時代には、人を助けたいという思いで、ボランティアにも積極的に参加しています。

今でもこの頃の気持ちを忘れることはなく、1995年の阪神・淡路大震災、2011年東日本大震災の時は、寄付をするだけでなく、医療ボランティアとして現地に駆け付けています。

▶︎決断力も規格外……「タニマチにならない金持ちは"白豚"以下!」

自らを「タニマチ」だと言う、高須克弥さん。

「タニマチにならない金持ちは"白豚"以下なんじゃないかな。」と、いじめられていた過去のあだ名を引き合いに出して語ります。

高須克弥さんは今年、数ヶ月分の給与や合宿手当などが支払われていないとして、練習や試合をボイコットすると発表したサッカーのナイジェリア代表チームを支援しました。

ボイコットの事実を耳にした直後、ツイッターで同代表チームへの金銭的支援を表明。

チームへ20万ドル(約2,000万円)、さらにボーナスを選手全員へ渡すと約束し、自ら小切手を持って現地へ飛び、監督に手渡ししています。

なんと、寄付金の総額は約3,900万円だったそう!

その決断力に驚かされますね。

▶︎本業は美容整形ではない……興味深いツイート

本業は美容整形ではない、と綴っている、高須克弥さん。

パプアニューギニアに学校を作ろうとしたり、阪神大震災で受けた傷の治療費を無料にしたり、東日本大震災の義援活動を継続的に行うなど、数え切れないくらいの支援活動を行っています。

さらに金銭的援助だけではなく、自ら足を運び、学校建設、負傷者の手当て、ボランティアなどをしているのです。

医学博士として活動するなかで、世の中に貢献するために、どのように生きるべきかを常に自分自身に問いかけているという高須克弥さん。

積極的な寄付活動等を行っているのは、自分の存在が多くの力によって支えられているという想いがあるからなのだそうです。

何かと世間の注目を浴びることが多い高須克弥さんですが、様々な過去や思いがあっての行動や言動なのだとわかります。

決断力や行動力、財力……すべてが規格外のスケールの高須克弥さん。

多くの人々に幸せな気持ちを届けようと、様々な社会貢献活動を行っている彼の素顔は、驚くほど愛情深く、人間らしさが溢れる素敵な方でした。