華やかな世界にも苦労アリ!桂由美さんの夢を輝かせた秘話とは?

子育て・ライフスタイル

ブライダル業界で長きに渡ってその名を轟かせている、桂由美(かつらゆみ)さん。

華やかな業界で成功するまでの道のりには、多くの苦労もあったそうです。

女性として共感できる、そんな桂由美さんの夢が輝くまでの秘話をご紹介します。

夢を叶えたのは「母から譲り受けたネックレス」のおかげ

1965年に、日本で初のブライダルファッションショーを開催したことで世界中にその名を轟かせた、桂由美さん。

長年にわたってブライダル業界のトップデザイナーとして活躍してきた桂由美さんですが、夢を叶えるまでには様々な困難がありました。

夢を叶えるために背中を押してくれたのが、お母さまから譲り受けたネックレスなんだとか。

ネックレスは、1988年に母・みつ子さんが心筋梗塞で急死する直前に手渡されたもの。

桂由美さんにとって、ネックレスはお母さまの存在や愛情を思い起こさせてくれる、大切な宝物なのだそうです。

母の後継者としてファッション業界に参入!

日本のブライダル業界を長年引っ張ってきた桂由美さんの活躍を、いつも間近で見ていたのは、お母さまであるみつ子さんでした。

もともとみつ子さんは、洋裁学校を経営しており、桂由美さんはその後継者になることを希望し、学生時代からそのための勉強を続けてきました。

共立女子大の家政学部に通いながら、文化服装学院の夜間部で服作りを学び、卒業後は洋裁学校の教師として勤めていました。

初めからブライダル業界を志していたのではなく、始まりは洋裁学校の後継者という道があった。自身の夢へと導いてくれたのは、お母さまであるみつ子さんだったと、桂由美さんは語っています。

母と二人三脚で確立した“ブライダル業界”での新常識!

出典:www.oricon.co.jp

桂由美さんがファッション業界を志した時期のトレンドは、発信地がフランスでした。

より本格的なファッションを学ぶために、お母さまに相談してパリ留学の資金を援助してもらった過去もあるのだそう。

「結婚資金のために貯めておいたんだけどね。」と笑いながら見送ってくれたみつ子さんの姿を見て、目頭が熱くなったと当時を振り返っていました。

フランス留学から帰国すると、ブライダルファッションに目覚め、「この道を進む!」と決意を固めた桂由美さん。お母さまに相談すると、大賛成してくれたそうです!

1964年に自身のブライダル専門店を初めて出店した際にも、娘の仕事に対する援助を惜しまなかったみつ子さん。

お母さまの経営する洋裁学校を手伝いながら、ブライダル業界で活躍するという、まさに“二足の草鞋”状態だったため、猛烈な忙しさを感じていたそうですが、お母さまと二人三脚で作り上げたブライダル業界の新常識は、瞬く間に世界中に広まっていきました。

「成功までの道のりは辛く険しいものだった」

出典:www.yumikatsura.com

とにかく何でも型破りな桂由美さんの提案は、時には困難と感じる部分も多くあったようです。

成功までの道のりで最も大変だったのが、「伝統との戦い」でした。

現代では一般的になっていますが、当時はウエディングドレスと着物の両方を着る結婚式のスタイルは馴染みのないものでした。

これを最初に打ち出した桂由美さんは、当時、業界から猛反発を受けたそうです。そんな中でも耐えてこられたのは、お母さまであるみつ子さんの言葉でした。

「普通の人以上の努力をしなくては、普通の人以上になることはできない」

こうしたお母さまの教えがあったからこそ、困難を乗り越えることができたそうです。

お母さまからネックレスを受け取ったのは、こうした困難を乗り越え、トップデザイナーとしての地位を確立した後でした。

「何かがあった時は、これを売ってでも頑張りなさい!」

その思いを受け取った桂由美さんは、今後もますます前進していくと心に誓ったのでした。

ブライダル業界の新常識を作った時代は、洋裁学校と二足の草鞋で頑張っていましたが、今では妹さんに学校を任せて、ブライダル業界に専念されています。

今後は、アジア各国にブライダルサロンをオープンさせ、「たくさんの人を幸せな気持ちにしたい。」と夢を語る桂由美さん。

いつまでも志高くいられるのは、お母さまから譲り受けたネックレスの存在があるからなんですね♡